CROSS TALK 安藤優子 × 水野秀司 対談

木々を背景に二人並んでいる安藤優子さんと水野秀司さん

Talk Member

安藤優子さんの顔写真
安藤 優子 / あんどう ゆうこ
1958年千葉県生まれ。キャスター/ジャーナリスト。上智大学在学中よりキャスターやリポーターとして報道に携わり、「FNNスーパーニュース」(フジテレビ)メインキャスターや「直撃LIVE グッディ!」(フジテレビ)の総合司会を歴任。現在はメディア出演や講演活動のほか、2023年4月より椙山女学園大学の客員教授を務めている。
水野秀司さんの顔写真
水野 秀司 / みずの ひでじ
​​1961年千葉県生まれ。認知症当事者/BLGはちおうじメンバー。大手ファミレスチェーンで35年間勤務、店長としても活躍。2023年4月に若年性認知症と診断され、5月よりBLGはちおうじに参加。地域での講演活動や八王子市内のシェアキッチンを借りて開業したレストランでは店長を務めるなど、日々仲間とともに社会参画活動に携わる。

ただ、いまを生きるということ。

今日の日付は、
その人の本質にはまったく関係ない。
ただ、“いま”を生きるということ。

日本で“認知症”という言葉が
使われるようになったのは、2004年のこと。
それまでは“ボケ”や“痴呆”といった、
今ではその症状の本質とは異なる、
誤解を生んでしまう表現が一般的に使われていました。
しかし、“認知症”という言葉が登場して20年、
まだまだ症状に対する誤解は多く、
正しい理解が十分に広まっているとは
いいづらい状況があります。

自身の母が認知症になったことをきっかけに、
認知症に対するイメージが一変したという
ジャーナリストの安藤優子さん。
一方、認知症共創コミュニティBLGでの活動を通じて、
失っていた自信を少しずつ取り戻していったという、
認知症当事者である水野秀司さん。

今回は、そんなお二人による対談をお届け。
「いま、大切にしていること」をテーマに、
認知症として生きること、
認知症の捉え方の変化、
そしてこれからについて語っていただきました。

日本で認知症という言葉が
使われるようになったのは、2004年のこと。
それまではボケ痴呆といった、
今ではその症状の本質とは異なる、
誤解を生んでしまう表現が一般的に使われていました。
しかし、認知症という言葉が登場して20年、
まだまだ症状に対する誤解は多く、
正しい理解が十分に広まっているとは
いいづらい状況があります。

自身の母が認知症になったことをきっかけに、
認知症に対するイメージが一変したという
ジャーナリストの安藤優子さん。
一方、認知症共創コミュニティBLGでの活動を通じて、
失っていた自信を少しずつ取り戻していったという、
認知症当事者である水野秀司さん。

今回は、そんなお二人による対談をお届け。
「いま、大切にしていること」をテーマに、
日々の過ごし方、
認知症の捉え方の変化、
そしてこれからについて語っていただきました。

※ 個人の経験、体験を元に作成しています。

-Chapter1 当たり前は、当たり前じゃない。
かけがえのない幸せは日常にある

今回のテーマは「いま、大切にしていること」。
まず、お二人の「いま」について教えていただけますか?

安藤

BLGでのご活動などを拝見しておりましたが、まずは水野さんの日常についてお話をお聞きしてもいいですか?

水野

もちろんです。認知症になってから仕事を辞めて、いまは週3日BLGで活動しています。それ以外の日は家にいて、家内と散歩や買い物に行ったり、掃除、洗濯など。本当はね、すこし億劫になる部分もあるんですけど(笑)。

安藤

でもそんなこと言いながら、一緒にいる時間が増えて、以前より奥様とは仲良しなんじゃないですか?

水野

そうかもしれないですね。家族にあまり迷惑をかけたくない気持ちもあるので、なるべく言われる前に家事をやっておくのが、いい関係を保っていられるコツかな、と。

安藤

言われる前にやる。夫婦円満の秘訣ですね。でも水野さんも、お仕事なさっているときは奥様に家事を任せていたんですもんね?

水野

そうなんです。だから正直、家事は何もできなくて。でも今は妻がパートもしているし、せめて家事ぐらいはという気持ちでやっています。いざやってみると、妻のすごさがわかりますね。

安藤

じゃあ今は、これまでの恩返しの時間でもあるわけですね。飲食関係のお仕事をされていたとのことですが、いまでも得意料理を作ったり?

水野

本当にたまに、チャーハンを作るくらいですよ。

安藤

いいじゃないですか、チャーハン。私はチャーハンを作ると、いつもべちゃべちゃになっちゃうんですよ。あれは何がいけないんだろう、火加減なのか、油なのか……

水野

でも、自分にとって美味しいチャーハンができれば十分だと思いますけどね。それぞれ好みがあって、自分にとって美味しいものが、他の人も美味しいと思うかどうかはわかりませんから。

安藤

本当、そうですね。

安藤さんが大切にしている時間は、どんなときですか?

安藤

私、毎朝犬の散歩に行くんですよ。1時間半くらい。なにって、うちの犬はとにかく散歩命で、すごく賢くて家とは反対方向に自分からどんどん曲がっていっちゃう。私がちょっとでも家の方向に歩こうとしたら、テコでも動かない。でもね、そうやって犬と歩いている時間が、私にとっては一番幸せな時間なんです。

水野

なにか、そうお考えになる理由があるんですか?

安藤

仕事柄、これまで戦争や紛争、災害などで平穏な日常を一瞬にして壊された人たちをずっと現場で目の当たりにしてきました。その経験って、「当たり前のことは、当たり前じゃない」ということを、強く私に焼き付けているんですね。

毎朝、一緒に朝日を浴びながら元気いっぱいに犬が散歩してくれるって、それだけですごく幸せなことじゃないですか。他の人からしたらなんてことない日常かもしれないけど、私にとっては「今日も散歩だぜ!」ってVサイン。

それに私、1秒でもずれたら放送事故、という生放送の世界でずっと仕事をしてきたのもあって、普段から時間に追われているタイプなんです。だから、時間もルートも気にせず犬と歩ける朝の散歩に、すごく贅沢を感じるのかなとも思います。

-Chapter2 環境の変化を超えて
今、それぞれの仕事への向き合い方

安藤

BLGでは、どんな活動をされているんですか?

水野

ポスティングや洗車、スーパーの敷地内の草むしりなどがあります。ボランティアとはいえ、やっぱり仕事があるのはすごくいいですね。何をやるかはなんでもいいけど、仕事がないと物足りない。

安藤

仕事をしているだけで、自分が必要とされていることを実感しますもんね。でも、かなり体力を使うお仕事なんじゃないですか?

水野

体力は使いますが、みんなで一緒に何かをしていると「自分たちは、まだやれるんだ」という気持ちになれるのが、すごく嬉しいんです。現役時代にはなかった感覚で、仕事の面白さ、楽しさを日々感じています。

BLGで活動するようになって、ご自身が「自分ってこういう人なんだ」と気づいた部分ってありますか?

水野

そうですね。昔から薄々思ってはいたんですけど、100点を取ろうとはせず、60点から80点の間くらいでやめてしまうという人なんだということがわかりましたね。

安藤

でも平均点は超えてるじゃないですか。それってご自身としては、余力を残している感覚なんですか?

水野

100点まで行ってしまうと、次はもういいかな、という気持ちになってしまうような気がするので、80点くらいで終わらせてしまうんです。

安藤

なるほど。ここまでのお話を聞いていても、水野さんがすごく自分が心地よく生きていられるペースやリズムなんかを、大事にしていらっしゃるのがわかりますよね。それを乱したり、飛び出すようなことよりも、毎日の家事や仕事という“当たり前”をすごく大事にしていらっしゃる。そういう意味では、私の犬の散歩にも近い感覚をお持ちなのかな。

安藤さんは、現在愛知県の椙山女学園大学で客員教授として講義をお持ちです。報道の現場から少し離れて、生活スタイルに変化はありましたか?

安藤

生放送や海外での取材ということこそなくなりましたが、毎日違う場所で仕事をする、という意味では生活はそんなに変わっていないんですよ。

でも、今は大学の授業を通じて若い世代の方たちと触れ合う機会が多いんですが、私がこれまで培ってきた類型みたいなものと、まったく違う発想を持っていてすごく刺激になるんです。「こんな見方もあるんだ!」って、教えているのに教えられているような気分。

若い世代と話すことって、こんなに面白いのかと日々感じています。

水野

若いからといって、一概に否定してはいけないですよね。

安藤

本当、そうなんです。あの子たちなりにすごく考えているし、議論する力もあるし、批判的な視線もあるし、上の世代のことも鋭い目線で見て考えている。

大学で授業をするようになって、ご自身が「自分ってこういう人なんだ」と気づいた部分ってありますか?

安藤

自分、ということではないのかもしれないけど、「教えるって、自分が本当にその物事を理解しているかどうかを点検する作業なんだな」と感じています。

私自身は、世界のいろいろな場所で取材をしてきて、その度に歴史的な出来事を学びもしたし、目の当たりにもした。だけど、それらを教えるためには、本当に物事の本質を理解できているかどうかもう一度確認しなければいけないんです。

教えるって、もう一度学ぶこと。だから、私自身に日々発見の連続がある。それが楽しいから、私って学ぶのが好きなんだなと思います。

-Chapter3 認知症は、その人の本質を
奪うものでは決してない

安藤

水野さんが、認知症になられたときのお話を聞かせてください。

水野

そのときはまだ働いていて、仕事をしながら自分でも「何かおかしいな」「忘れっぽいな」と感じてはいました。ただ、それって人になかなか相談できないじゃないですか。でも、だんだん一緒に仕事をしている人たちから「どうかしたの?」ということを言われ始めて。妻は仕事仲間よりも先に気づき始めていていたから、私に受診を勧めて、病院で診断を受けたら……という感じです。

安藤

ご自身でそれを認めるのは、辛くなかったですか?

水野

辛かったですよ。仕事を辞める前の最後の一年は、特にしんどかったです。自分自身でも「変だな」とは思っているけど、周りから「普通の人じゃない」と見られてしまうことへの怖さがありました。ただ、診断後に職場でカミングアウトをしたときには、なにか肩の荷が降りたような感じというか、少しほっとした部分もありました。

安藤

そこからは、どんなふうに生活が変わったんでしょうか?

水野

診断後は、すぐに仕事を辞めました。元々、私は友達から「うるさい」って言われるくらいおしゃべりなんですけど、言葉が思うように出なくなってからは一切周りと喋らなくなって。すごく自分に自信を失って、暗く落ち込んだ時期がありました。その姿を見て、妻がBLGというグループを見つけてきてくれて、話を付けてくれて。そこからBLGに参加するようになりました。

安藤

BLGだと、仕事をしているときには周りに言えなかったようなことも、オープンにしながら過ごせるわけですよね。

水野

そうですね。言葉が上手く出ないことやどう思われるかなどを気にする必要がないので、今は自分がありのままでいられる。認知症と診断されて仕事を辞めたときには、まったくその先のことが明るく捉えられなかったけど、今こうして認知症になっても仕事をしていることで、「自分にもやれることがある」という自信が少しずつ出てきました。

安藤

私もね、水野さんと同じように認知症に対する考え方が「変わった」と思う瞬間があるんです。私の場合は、母の話なんですけどね。

元々、すごく明るくて華やかな人で、旅行や習い事、おしゃべりが大好き。そんな母があるときから急に、習い事も外出も一切しなくなって、怒りっぽくなったり、妄想に近いこと言ったりし始めたんです。最初、私たち家族はそれをすべて年齢のせいだと思っていた。きっとどこかで「母は認知症になるような人じゃない」という思いがあって、母の変化を受け入れられなかったんでしょうね。

身近な人ほど、受け入れづらいですよね。

安藤

しばらくはそのまま過ごしていたんですが、その間にも母は一人でどんどん傷ついていって。旅行もできない、喋ることも難しい、歩くのもつらい、前はできていたことが何もできなくなっていく……そんなふうに、自分自身に対する否定的な感情や、猛烈な怒りを感じていたんです。

でも、ようやく病院で認知症と診断されたことで、「あの言動は、認知症によるものだったんだ」ということが後々わかって。それで高齢者用の介護施設に入ることにしたんです。

そこでお母様は、どんなふうに過ごされていたんですか?

安藤

施設ではだんだんと穏やかに過ごすようになりました。とくに回想法という心理療法として絵を描き始めたのがすごく良かったみたいで。

元々ハワイが大好きで、アンスリウムというハワイに咲く花の絵を描いたときに、認知症になって初めて自分で自分のことを「よくできた」と褒めたんですね。「あれもできない、これもできない」といろいろなことを奪われていって怒りを感じていた彼女が、初めて自己肯定できた。それがきっかけになって、自己否定の塊がどんどん溶けていって、徐々に穏やかさを取り戻していったんです。

水野さんの場合はBLGでのお仕事でしたが、安藤さんのお母様も絵を描くことによって自信を取り戻していったんですね。

安藤

そうなのかもしれないです。またその絵がね、すごく明るくて力強いんですよ。真っ赤なアンスリウムと、鮮やかな黄色と緑。それまで「あの明るくて社交的な母はどこに行ったんだろう」って思っていたけど、その絵を観て母の本質は何も変わっていないことがわかりました。そのときに母に対する思いも変わりましたし、認知症に対する考え方も180度変わりました。

認知症は、その人の本質を奪うようなものではない。私一人の経験ではありますが、それは絶対にそうなんだと確信に近い気持ちがありますね。

水野

私も、おそらくお母様と同じで、自分は絶対に変わっていないという気持ちがあります。でも本人からすると、実はその自信もないんです。周囲には「あの人変わったよね」と思う人もいれば、「全然変わってないよ」と捉える人もいる。自分では変わっていないつもりだけど、変わったのかもしれない。どこにピントを合わせるべきなのか、正直自分でもわからないんです。

安藤

それって、当事者としての本当に正直な気持ちですよね。私も認知症になったら、何が本当の自分なのか、わからなくなるのかもしれません。ただ、本人が自分と周りからの見られ方の差で悩んでいるときに、その人の本質的な部分に周りが気づくことって、両者にとってすごく大切だと思うんです。

私たちは、「母が認知症である」ということに向き合うまでに時間がかかってしまって、母はその見られ方との差ですごく辛い思いをしていたのかもしれません。

お母様が「何も変わっていない」と感じてから、安藤さんの中で接し方などに変化はありましたか?

安藤

もちろんです。それがわかってから母に会いに行くのがすごく楽しくなったんですよ。上手く会話が成り立っていたかはわからないけど、たくさん話をして、一気にコミュニケーションが取れるようになった感覚を覚えました。

介護って育児ともまた違う心の重さがたくさんあるけど、そこから私は母に会う時間を楽しむ心の余裕が少しできたような気がしましたね。

-Chapter4 たとえ今日の日付がわからなくても
その人の人生が否定されることはない

「認知症は、その人の本質を奪わない」。水野さん、安藤さんのお話を聞いていて、認知症に対する見方が自分の中でもすごく変わっていくような気がしました。お二人は、これからチャレンジしてみたいことなどはありますか?

安藤

私は、もうちょっと時間に余裕を持って暮らしたいですね。毎朝の犬の散歩以外、本当に時間の余裕がないので、少しはゆっくりしたい。本当に職業病なんですけど、生放送を40年間やってきて、タイトな時間感覚が体に染み付いちゃっているんですよ。どんなことでも時間を逆算して、何時何分までにこれを終わらせて、みたいな。いまだにそれが抜けないのは本当によくないなと、自分でも思います。

だって、うちのリビングにソファがあるんですけど、私、座ったことがないんです。

ええ!せっかく買ったのに?

安藤

そうなの。完全に置物(笑)。ソファの前にテレビを置いているんですけど、それも観たことがない。ドラマや映画に、おやつを食べながらテレビを観ているシーンがよくあるじゃないですか。あれをやったことが一度もないんですよ。

家ではキッチンにいるか、書斎で仕事をするか、犬と散歩をするかくらいなので、今の目標は「ソファに座ってゆっくりテレビを観る時間を作る」ですかね。小さすぎますけど(笑)。そういう何も考えないでいい時間みたいなものが、欲しいなって思います。

水野さんはいかがですか?

安藤

何かチャレンジしてみたいことがおありになるんじゃないですか?今まで仕事一筋だったわけだから、自分のために時間を使うようなこととか。

水野

うーん……ないんですよね。でも、映画や読書は好きでした。

安藤

素敵じゃないですか。BLGでの活動は仲間と一緒にやるものだと思うので、そうやって一人でできる趣味を持つこともいいですよね。自分の時間を確保するという意味でも。

水野

そうですね。まぁ、いま以上のことを多く望んでいるわけではないので、変わらずみんなと一緒に仕事をして、毎晩家に帰ってビールを飲んで、寝る。そういう穏やかな日常を送れたらいいなと思います。

安藤

そっか。じゃあ一日の最後の晩酌が、水野さんにとっては大きな趣味の一つになっているのかもしれないですね。ちなみに好きなおつまみは?

水野

ピーナッツです。

安藤

そしたら、今度お会いするときはビールとピーナッツを持ってきますね。

最後に、今日を振り返ってのご感想をお伺いしたいと思います。

水野

安藤さんにお会いして「ああ、本当に本物がいるんだな」と、思いました(笑)。本当にいるんですね。

安藤

ちゃんと足も付いているので、大丈夫ですよ。すごい、1本取られましたねこれは(笑)。

(笑)。安藤さんはいかがですか?

安藤

認知症って、「なったらすべてが闇に包まれる」というようなイメージばかりが独り歩きしていると思うんです。私は母との経験を通じて、世の中に「認知症って、そうじゃないんだよ」ということをずっと伝えたいと思っていたので、今日、そのお話をさせていただきました。

安藤

それは先ほど言った「認知症はその人の本質を奪わない」ということもそうなんですが、もう一つ、もうちょっと「物事を忘れる」ということに対して社会がもっと寛容になってほしいんです。

母は認知症になって、今日が何年何月何日なのかわからなくなった。でも、わからなくてもいいと思うんです。大正生まれの母は、青春時代を戦争に奪われて、苦労して人生を駆け抜けてきました。今まで頑張ってきた一人の女性が、最後の数年間だけ浮世離れをして、のんびりと穏やかに日付と関係のない時間を過ごしても悪いことは一つもないはずです。

たとえ日付がわからなくなったとしても、その人の人生が否定されるようなことは決してない。

そして今日、水野さんのお話を聞いて、一日の終わりのビールとピーナッツを楽しみに仲間と仕事に向き合って、たわいのないことを語らって生きる人生も、なんら否定の余地がないということを改めて感じました。本当に、お会いできてよかったです。

取材・文:郡司しう 編集:株式会社GIG
取材日・場所:2024年2月 エーザイ小石川ナレッジセンター(東京)

After Word

取材を終えて

安藤さんと水野さんの対談は、凛とした中にも柔らかさを感じる空間の中で進んでいきました。安藤さんの包み込むような微笑みと水野さんのはにかんだ笑みがとても印象的でした。

「認知症に対する考え方が変わった」と思う瞬間について語られた対談での一幕。水野さんは、BLGはちおうじと出会い「今は自分がありのままでいられる」、そして、みんなで一緒に何かをしていると「自分たちは、まだやれるんだという気持ちになれるのが嬉しい」と優しい眼差しを安藤さんに向けられました。

安藤さんもまた、お母様が描いた絵をご覧になり、お母様の本質は何も変わっていないことがわかり、お母様への想いと認知症に対する考え方も変わったのだと、その時のエピソードをこまやかに話してくださいました。

「自分は絶対に変わっていない」という気持ちはある。でも、実はその自信がない・・・と水野さん。

だからこそ、周囲がその人の本質的な部分に気づくことが、本人にとっても周囲にとってもすごく大切、と安藤さん。

ご縁があり、私はBLGはちおうじの活動に参加させていただくことがあります。私が水野さんと出会うことになったのは、初めてBLGはちおうじを訪れた日。それは、水野さんがBLGはちおうじに参加されて2日目の日でした。その日の水野さんは、少しうつむき加減で、心こころにあらず・・・といった感じでした。周囲から「普通の人じゃない」と見られてしまう怖さがあったのかもしれません。BLGの訪問を重ねるうちに、水野さんの表情も言葉も明るくイキイキ変化していることは、私の眼にも明らかでした。「100点は目指さない、70点位の頑張りで」新しい出来事を覚えていないことはあっても、こちらがハッとするような言葉を紡ぎ、ユーモアたっぷりにその場の空気を和ませる水野さんやBLGメンバーさんの姿からは「今を、どう生きるか」が大事なんだということを教えていただいたように思います。

安藤さんの言葉をお借りすれば、「こんな見方もあるんだ!」と人生の先輩方と話すことって、こんなに面白いのかと毎回感じるのです。

「何を大事に生きてきたのか」に想いを馳せ、それぞれが歩んできたストーリーに触れるとき、「認知症は、その人の本質を奪わない」そして「その人その人が、生きるを共にする場がある」ことを実感できるのかもしれません。

最後に、原稿を読まれた水野さんの奥様からのメッセージを共有させていただきます。

安藤優子さんとの対談記事を読ませて頂きました。
立派に喋れていて関心致しました。
少しの嘘もあったけど自分の気持ちを素直に話せていて驚きました(笑)。
本当にこれ貴方が喋った?って聞いてしまった程です。
(記者さんが上手く文字起こしをしてくれたんだなと思ってしまった)
主人の気持ちを伺い知れて良かったです。
ありがとうございました。
それと、安藤優子さんのお人柄が伝わる素敵な原稿ですね。

本取材並びに原稿作成にご協力いただいたみなさまに、心より感謝申し上げます。

エーザイ株式会社 編集担当 酒井(取材当時)